5 入蜀 2
2 宋代 3
杜甫自身の語るところによれば、すでに少年にして1000余編の詩を有していたというが、それらの詩は後世には伝わらず、いまに伝わるものは1400余編の詩と、少数の散文にとどまり、それも原則として30歳以前のものを欠落する。 杜甫の晩年に詠まれた七言律詩の名作「登高」について説明していきます。この詩は杜甫が放浪の旅を続けて重慶で作られたとされており、律詩に優れた杜甫の作風が十分に描き出されています。前半は風景描写から始まり、後半はこれまでの人生を振り返る内容です 『絶句』の解説 美しい蜀の春です。 蜀の川はエメラルド色に澄んでいると言います。 山の木々の緑、その間から見える真っ赤な花。 こんな美しい景色を見ながら詩人の心はここに落ち着くことができません。 杜甫の故郷は蜀ではなく北の洛陽。 洛陽は黄河流域・河南省西部の都市、古代中国で何度も都になっています。 長江流域の蜀と黄河流域の洛陽、風土・風景はかなり異なります。 どんなに美しい景色でもよそ者には完全に溶け込めないものがあるのでしょう。 親兄弟とともに暮らした故郷のなつかしさは何者にも代えがたいものがあるに違いありません。 『絶句』の形式・技法 『絶句』の形式五言絶句。 『絶句』の押韻「然・年」が韻を踏んでいます。 『絶句』が詠まれた時代 杜甫はキ州に2年間を過ごし、768年正月、ふたたび舟に乗って三峡を下り、荊州に至ります。荊州には杜甫の弟杜観がおり、誘いを受けたといわれますが、荊州ではあまり親類からの援助を受けられなかったようです。同年秋、杜甫はふたたび長江を下ります。 『春望』全文 『 春望 』(しゅんぼう)は、 唐 の 詩人 ・ 杜甫 が 安史の乱 のさなかの 757年 ( 至徳 二戴)春に 長安 で詠んだ 五言律詩 。 冒頭の「 国破れて山河在り 」という句でつとに有名で [1] 、杜甫の代表作であるのみならず [2] [3] 、 日本 で最もよく知られた 漢詩 の一つである [4] 。 同名の漢詩は多くあり、よく知られたものに 明 代の文学者・ 楊慎 が詠んだ『春望』がある [5] 。 本文 平声の「深」「心」「金」「簪」で押韻する [3] 。 解釈 題の『春望』は「 春 の眺め」と解される [3] [4] 。 この時期の代表作に、「秋興八首」「旅夜書懐」「登高」などがある。 また杜甫は『 文選 』を非常に重んじた詩人としても知られる。 次男の杜宗武の誕生日に贈った「宗武生日」に「熟読せよ文選の理に」との文言が見えるなど、この言葉からも『文選』を重視していたことはうかがわれる。 杜甫は『文選』に見える語をそのまま用いるだけでなく、『文選』に着想を得て、新たな詩の表現を広げようと追及していた。 詩の表現への執着は「江上値水如海勢聊短述」の「人と為り性僻にして佳句に耽ける、語人を脅かさずんば死すとも休まず」句が端的にそのことを示すだろう [7] 。 脚注 [ 前の解説] [ 続きの解説] 「杜甫」の続きの解説一覧 1 杜甫とは 2 杜甫の概要 3 詩の特徴 4 著名作品 5 脚注 急上昇のことば 詩風の変化成長
野茫茫
12:第46頁 2、 李丹,孟勛.小學生必背古詩詞:吉林人民出版社,2013年:第48頁 賞析 字
天は蒼蒼 (さうさう) 野は茫茫 (ばうばう)
jp/anime_kanshi_kanbun/anime_kanshi_kanbun_gaiyou
安史の乱では賊軍に捕らえられたが、やがて脱出し、新帝 粛